聖骸布とイエス


 聖骸布の科学的研究の黄金時代は1970年頃から始まった。教会が直接聖骸布を調べることを専門家に許したからである。次々といろいろな発見が集中し、ついに1978年の一般公開後、欧米から40名ほどの学者が参加した本格的な科学調査が行われるようになったのである。

6-1 イエスとの一致点


 今まで私たちは、聖骸布の「人」について語ったが、問題は、その人はナザレのイエスであろうかということである。これに答えるために、イエスの受難を語る四福音書を参考にするしかない。イエスの死後数十年後に書かれたこの四つの記録は、ちょっとした違いで基本的に同じようにイエスの受難を伝えている。
 聖骸布の人との大事な一致点は次のとおりである。イエスは同じように


 では、当時、十字架刑を受けた人の中にどのぐらいの人が以上の特徴を全部同時に揃えていたのであろうか。
 例えば、茨の冠を被せられたと書かれている人はイエス以外にはいない。十字架刑の犯罪人が墓に葬られることは稀だった。上等な亜麻布に包まれる人はほとんどいなかった。足を折らずに胸を刺された人も少なかった。腐敗しないで墓を離れた人はいなかったであろう。たとえいたにしても、その遺体が包まれた血だらけの布が保存されたとは考えられない。このような布は経済的にも美術的にも価値はない。聖骸布の人の布が現代まで保存されたということには、何かの重大に意味があったはずであるが、イエスだとしたら、その理由が分かる気がする。しかし、保存したとしたら、秘かにしたのであろう。 聖骸布からみて、イエスはこういう形で布に包まれた。17世紀G.B.Della Rovere作

6-2 腐敗していない聖骸布の人


 マタイ、マルコ、ルカのギリシア語原文には、遺体が包まれた布をsindonと呼ぶ。ヨハネはothoniaと呼ぶ。両方共日本語で「亜麻布」と訳される。本来、sindonは亜麻で作られた大きな生地(マルコ14.51参照)、othoniaは亜麻布類を意味する。ルカは、受難の箇所にsindonと呼んでいるのに、復活後othoniaと呼んでいる(24.12)。両方とも同じ意味であったから。トリノの聖骸布は大きな亜麻布である。
 福音書が言うには、イエスは腐敗していない。葬られたのは金曜日の夕方。日曜日の朝早く数名の婦人が墓を訪れたら遺体はなかった。布だけあった。葬りから30~40時間しか経っていない。ふつう死体の腐敗が始まるのは4・5日経ってからであるが、聖骸布の上に腐敗の跡がない。では、聖骸布の人に何が起こったのであろうか。
 もし、弟子たちが盗んだとしたら、布に密着していた固まった傷跡が剥がされたとき、その輪郭が崩れたはずである。しかし、聖骸布の傷跡は完全であるだけでなく。体全体の姿も写っている。
 イエスの遺体に何が起こったのであろうか。何のエネルギーで姿が布に映ったのであろうか。現代の科学にとってこれは一番の謎である。  

ローマ、聖ペトロ大聖堂、地下聖堂
トリノ、聖骸布博物館、キリストの復活

6-3 墓の中の亜麻布の状態


 墓の中に残った亜麻布の発見を詳しく描いているのはヨハネだけ。彼は、イエスの弟子の中で、ただひとり十字架の元に立ち、葬りに立ち会った。そしてペトロと一緒に墓を訪れた直接の目撃者である。
 これは、ヨハネによる福音書20.3-10のギリシア語原文を意識した翻訳である。
 「ペトロともう一人の弟子は、出かけて墓に向かった。二人は一緒に走って行ったが、もう一人の弟子の方がペトロより速く走って、先に墓に着いた。そして、身をかがめてのぞき込むと、平らになっている亜麻布(keimena ta othonia)が見えた。しかし、中には入らなかった。後に続いてシモン・ペトロも来て墓の中に入ってよく見ると、亜麻布が平ら(ta othonia keimena)になっておりイエスの頭の上にあった手拭い(sudarion)が、亜麻布と一緒に平らにはなっておらず(ou keimenon)別に(alla koris)元の所に丸めてあったentetuligmenon eis hena topon)。次いで、先に墓に着いたもう一人の弟子も中に入り、見て信じた。」 墓に向かうペトロとヨハネ

6-4 直証人であったヨハネ


 以上の出来事の直証人ヨハネは、この通り布の状態について記してきた。彼は、葬りの時にイエスの遺体が包まれた布が膨らんでいたのに、今は、イエスが抜け出したので布はしぼんでいた状態を見ていた。ただ「そこにあった」のではなく、「寝込んでいた、横たわっていた」状態だった。昔のラゲー文語訳聖書には「見れば布は横たわりて」と訳している。ヨハネは、「三日目に復活する」というイエスの予告を思い出して「見て信じた」と言う。彼が見たのは布の外側だけ。内側の姿は見えなかったであろう。しかも、書いたのは60年後だと言われる。一生の間、何回もこの体験を語ったはずである。生き生きとその日のことを思い出していた。しかし、なぜ60年も経って、亜麻布の状態にこだわっていたのであろうか。それは、布が保存されていることを知っていたからではなかろうか。
 もう一つ、以上の文書に注目したい。彼が言うには、遺体を包んだ亜麻布の他に「イエスの頭の上にあったスダリオ、おおい、手ぬぐい」があったこと。これは他の福音書に書いていないことである。実は、これも保存されているので、この布について後に話しをしよう。そこにも大事な発見がある。 アリマタヤのヨセフとニコデモがイエスを葬る