炭素14による年代測定


 聖骸布の科学的研究の黄金時代は1970年頃から始まった。教会が直接聖骸布を調べることを専門家に許したからである。次々といろいろな発見が集中し、ついに1978年の一般公開後、欧米から40名ほどの学者が参加した本格的な科学調査が行われるようになったのである。

5-1 年代測定の経過


 聖骸布の研究がここまで来たら、当然、布の年代を知りたいという要求が生まれる。特にイエスの埋葬の布だと言われているから。本当にその布はイエスの時代のものであろうか。ヨーロッパにたどり着いた年は1350年頃であるのに。
 古い遺品の年代を知るためには、考古学では炭素14の年代測定が広く使われている。それを発明したアメリカのWillard Libbyは1960年にそのためにノーベル科学賞を得た。テストするための条件は標本が汚染されていないことが要求される。そのためにLibby自身は聖骸布のテストを辞退した。同じ理由のためテストに反対する科学者が多くいたが、世の中に要求する声が強くなり、必要なのは布の数センチだけであって、教会は科学を恐れてはならないと脅かして、ついに教会はそれを許可した。

聖骸布の標本が切られたのは左側の上の位置である
切った標本の下は白くなっている。裏打ちの布と聖骸布がけがれていることが分かる。これは、炭素14の年代測定にとって致命的な欠点である。
16世初期シャンベリ―で手で握った聖骸布を展示する様子


 そのテストの実施を希望したのは7か所あったが、互いに反対があって、最後にオックスフォード大学、チューリッヒ研究所、アリゾナ大学の3か所だけに減らされた。監督は大英博物館のTite館長。そして守るべき規則をきめた. 
 1988年4月21日、担当者の立ち会いで、聖骸布本体の左上の角から標本が切られた。ところが、タイト氏が三つの標本を渡す時、


 同年10月13日、結果が発表された:聖骸布は「1260年‐1390年!」のもの。発表に際してトリノのBallestrero 大司教は「科学は、科学を裁くであろう」と言った。

大英博物館で実験の結果を発表する3人。
記者会見で発表するトリノでBallestrero 大司教。「科学は科学をさばくであろう」と言った。

5-2 問題にされた測定


 聖骸布の研究に初めてコンピューターが使われたのは1977年であった。当時、NASAの職員Eric JumperとJon Jacsonは聖骸布の人の写真を手に入れて、立体的な情報があることに気がついた。宇宙衛星から送られてくる写真の処理に使っていたVP-8というNASAの特殊な措置を使ってその写真を処理して見たら問題にされた測定が実現した。その姿の濃淡が布と体の距離に比例し、濃いところは表面に近い、薄い部分は遠いからである。すでに1902年にPaul Vignon氏がその特徴を指摘していた。これは一般の写真にない特徴である。聖骸布の場合、表も背面も姿に影がなく、垂直に体から映ったように見える。これは他の写真にない特徴である。この発見は大きくマスコミから伝えられた。後にこれに基づいてイタリアのMattei氏は聖骸布の人の彫刻を実現した。